大人になったら

16060106

中学生の頃、一年生から放送委員になった。朝礼のときにマイクを用意し、ミキサーを調整し、生徒たちに先生の話が聞きやすくなるよう準備した。二年上の先輩が委員長でかわいがってもらい、いろいろと教えてもらった。壊れてしまったプラグをどう直すかとか、コードはどう巻き取るのかとか。しばらくして、委員長の妹が同じ学年で放送委員をしていることを知った。活発で、ハキハキしてかわいらしい女の子だった。その子にバレンタインの前日に「どうせひとつもチョコもらわないんでしょう? 上げようか?」と言われ「いらないよ」と答えた。

二年上の委員長が卒業して、よくその妹と一緒に放送委員の仕事をした。ときどき放送室で二人きりになった。ある日、下校放送が終わったとき、彼女はこんなことを言い出した。

「私のママ、精神病なんだ。きっと私も大人になったら同じ病気になる」

なんて答えたらいいのかわからなかったので「きっと平気さ」と言った。何の根拠もなかったけど。

卒業までその子からは一度もバレンタインのチョコはもらわなかった。ちょうだいと言えばきっとくれたんだろうけど。卒業して別の高校に行った。二年目の夏休み、彼女から手紙が来た。

「会いませんか?」

うれしかったけど少し迷った。高校に好きな女の子がいた。でも付き合っているわけではなかった。しばらく悩んでから、高校の文化祭に来ないかと誘った。

当日、彼女は放送委員会で仲良しだった別の女の子と二人で来た。制服姿しか知らなかったが、彼女は明るい色の服を着ていた。僕は吹奏楽部の指揮者だった。その演奏を聴いてもらった。しかし、そのときの演奏があまりよくなく、僕は不機嫌だった。それで「久しぶりに会ったのになによ」と怒られた。怒るのは当然だと思った。それが最後で彼女とは会わなくなったし、手紙のやり取りもなくなった。

それから10年ほどして、僕は会社員だった。出勤のために地下鉄を待っていると、彼女がいた。視点が定まっていない。細くて白い腕には自傷でできたのだろうか、細い傷がたくさんついていた。
「僕のこと覚えている?」
「ふふ」
覚えているとも覚えていないとも答えてもらえない。
「どこに勤めているの?」
「航空会社」
「スチュワーデス?」
「ううん、地上勤務」
どの答えにも違和感があった。受け答えはたいてい相手が誰かで変わるものだ。ところが彼女は、話している相手が僕であることを理解した上でそう答えているのか、理解せずにそう答えているのか、よくわからなかった。その様子を見て思い出した。

母親と同じ病気になってしまったのか?

かつての元気な彼女とは別人だった。何を聞いてもテンポがずれるし、答えも間違ってはいないがどこかズレていた。彼女の様子を見て、僕はいたたまれなかった。

地下鉄に乗って、並んでつり革につかまっていたが「トイレに行きたくなった」と言って二駅目で降りた。

地下鉄は扉を閉めて、彼女を乗せて、暗いトンネルに吸い込まれていった。

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