こちらで話題にしたライブに行きました。とてもよかった。
1992年、京都のグローバル・フォーラムでスーザン・オズボーンに会った。それが縁で彼女のワークショップに参加した。そこでは自分のわずかな声を響かせて、他人の声と共鳴させていった。それから何年かして倍音声明に出会う。似ているなと思った。何が似ているのかというと、他人の声を環境として、そこに自分の声を響かせていくことが似ていた。たった一人で声を出すと、まるで素っ裸な、守るところの何もない、素の声が出て来る。それはとても不安定で頼りない物と感じてしまう。ところが、他人の声が一緒に響いていると、自分の声が響く音程がどこかにあり、それを探ることで声は頼もしく感じられて来る。いい体験をしたと思った。
ドゥルパドのライブでは、背景にいつもタンプーラが鳴っていた。それにバワルカールは声を響かせて行く。はじめはゆっくりと。次第に響きの変化を楽しむようにテンポが上がって行く。それはまるで神々がこの世界を生み出して行くかのように自由自在に響きとメロディーをもたらして行く。ある程度テンポがあがり、太鼓の音も加わればいいのにと思うようになっても、パカーワジの奏者シュリ・プラタープ・アワードは、演奏を始めない。じらされて、じらされて、やっと出てきた音に安心する。絡み合うパカーワジはバワルカールのもたらすメロディーを支え、天地創造の頂点を迎える。
エクスタシーは体験を深めることでその喜びが大きくなって行く。ドゥルパドは、はじめて聞いた人にはよくわからないものなのかもしれない。僕の場合は幸いに、スーザンや倍音声明で開発された感覚にとてもよく響いた。