平成30年4月4日(水)、午前10時30分からおこなわれた秩父今宮神社の龍神祭、そしてそれに続く水分神事に参拝して参りました。
とても天気がよく心地よい気候のもとでおこなわれました。
龍神祭は秩父今宮神社に祀られている八大龍王のご神徳に感謝する祭。明治元年の神仏分離令で龍神祭はできなくなり、平成4年に復活するまで、126年ほどおこなわれませんでした。宝生明は五年ほど前にはじめて龍神祭を参拝し驚きました。小さな神社でしっかりとお祭りがおこなわれていたのです。いろいろ調べると、もとはとても大きかった神社が明治維新や敗戦を通じて小さくなり、力が削がれていったようです。それは日本や秩父の歴史に通じるものがあります。
秩父にはご神体と仰がれる霊山・武甲山がありますが、明治以降武甲山はセメントの産出のため削り取られ続けました。いまではその姿はかつてのものとまったく違います。秩父の人たちはご神体である武甲山が削られていることに疑問を感じながらも、公にそのことをいうことはできませんでした。ところが最近、笹久保伸さんという秩父出身のギタリストがこの問題について公言し、2015年に「ピラミッド」という映画を作ったことで、いろんなメディアに取り上げられるようになりました。「ピラミッド」の解説が笹久保さんのBlogにあります。それをここに転載します。
秩父前衛派New Chichibu Documentary
『PYRAMID 破壊の記憶の走馬灯』
ピラミッドは三角形だ。
しかしピラミッドを構成する個々の石たちは、実は四角だったり、歪だったりする。
遠くから見るのと登ってみるのとでは印象が違い、尾根の稜線や表面の凹凸断面の立体感は実際に歩いてみないと見えてこない。三角形は古代から信仰のシンボルだった。
それは山であり、山がない場所には三角形の建造物が建てられた。
ピラミッドは社会構図でもある。
国家も政治も会社も宗教も、みんなピラミッドで構造を例える事ができる。
社会構造や宗教観などで例えればピラミッド(三角形)のいちばん頂上はリーダーであったり、宗教であれば信仰の対象になるのだろう。
水は上から下へと流れ、地底湖に溜まる。
だけど、この映画はそういう映画ではない。秩父ではセメント採掘のために神奈備山(神体山)である武甲山が今でも毎日ダイナマイトで爆破され続けている。
この地域の民俗信仰の中心にある武甲山(神奈備山=神の山)が
21世紀になっても毎日ダイナマイトで爆破されているというのはある意味すごい話しで、
それは「ダイナマイトで毎日爆破される神」=人間が神を殺す風景が日常の景色として秩父に“転がって”いる、という事でもある。
そんな情景の日常は、日常でありながらも幼少期の僕に衝撃を与え続けた。
12:30分に爆破されるダイナマイトは小学校、中学校に聞こえてきて、
爆破音は子供達にとってのお昼のチャイムでもあったし、
神の生死は人間の都合に左右されるものなのだと、子供の頃に無意識のうちにこの町で学んだ。『そういうものの破壊の上に私たちの文明の繁栄は築かれていますね。』
ある日、坂本龍一さんとチャットで会話している時に環境破壊の話しになり、
映画アイデアをインスパイアされ、それらをこの映画に反映させている。僕は、天然記念物の植物が生息している神体山をダイナマイトで爆破し続ける事ができる秩父の民の「前衛性」に興味がある。
武甲山は爆破され続けた結果『ピラミッド』になっている。
山頂も爆破され、雨乞岩、幕岩、三ツ岩、屏風岩、飯盛山、西尾根、山の神、空峠、
ほぼすべての信仰の場所が爆破され消滅しセメントになり、都会のビル群になった。セメント産業以前の秩父では養蚕が産業だった。
蚕を育て、繭ができたら幼虫は成虫になる事なく茹でられて死ぬ運命にある、
その表側に機織産業が存在し、労働者と雇い主のピラミッド関係がが生まれ、仕事歌も生まれた。
機織産業の主役は殺された蚕であり、それを紡いだ女工たちでもあるはずだが、
世の中の仕組みも武甲山のようにピラミッドであり、蚕も女工も影の記憶となっている。
秩父の石、糸、ダイナマイトの風景からは、厳しさや、悲しみ、前衛性、破壊的ノスタルジーを感じる。この映画は秩父を舞台に約一年半かけて8ミリフィルムで撮影しています。
映画の中には8ミリフィルムによる長時間露光撮影による映像が度々使われていて、
動きが残像のように高速で進んでゆきます。
それは「ピラミッドの、破壊の記憶の走馬灯」なのではないだろうか、と思う。笹久保伸/秩父前衛派
https://shinsasakubomyblog.wordpress.com/2015/04/18/2583/より引用
笹久保さんのBlogには、「ピラミッド」の予告映像があります。
うまくは言えないのですが、このような複雑な状況の中で、龍神祭は立派に、気持ちよく営まれています。この奥の深さに僕は惹かれます。明治維新で神仏分離させられて、神社の境内が小さくなっても、修験はしてはならないといわれても、それに表面的には従いつつも、大切な霊統のようなものはきちんと保存していたのです。この力強さ、たくましさにとても惹かれます。
水分神事の説明はこちらにあります。 これもここに引用しましょう。
水分(みくまり)神事は、秩父神社でおこなわれる御田植神事に先立ち、龍神池の御神水を授与する神事。
秩父神社から神官、伶人、神部(農業の代表者)たちからなる御神幸行列が当社を訪れ、「水乞い」を行う。当社の宮司から秩父神社に、当社の龍神の御分霊を『水幣(みずぬさ)』(八大龍王神の御神徳)として授ける。秩父神社は、この水幣を奉斎して秩父神社に持ち帰る。
秩父神社では授与された水幣を、田の水口をかたどる「藁の龍神」の口に奉る。すると、境内の敷石に龍神の御神霊が行き渡り、そこは一面の水田と見立てられ、神部らによって御田植神事が執り行われる。
この「藁の龍神」は、毎年12月3日に斎行される秩父神社例大祭(秩父夜祭)の際、大真榊を立てる榊樽に巻き付けられ、神輿・笠鉾・屋台の行列とともにお旅所へ供奉される。武甲山に鎮まる山の神が、春に里へ下って人々に豊かな稔りをもたらしたあと、冬のはじめに再び山に帰ることを象徴するもので、古代日本の祭祀形態を今日に伝えるものである。
「水分」(みくまり)という言葉は古事記の中に登場する。伊邪那美命の御子神である速秋津日子神(はやあきづひこのかみ)とその妹の速秋津比売神(はやあきづひめのかみ)から生まれた「天之水分神」(あめのみくまりのかみ)と「国之水分神」(くにのみくまりのかみ)の二神はいずれも水の恵みを司る神といわれている。古事記の頃からすでに「水分」という概念が非常に大切なものであったことがうかがえる。
毎年4月4日の午後に執りおこなわれる。
水分神事のあと、秩父神社に行き、御田植祭を見ました。
日本は水稲文化でした。一年のサイクルがそれで決まり、安定した社会を営んでいた。それが明治維新で変貌します。変貌することがすべていけないことだとは思いませんが、かつて培われてきた文化が根こそぎ失われるというのには疑問を感じます。幸い日本の文化はまだ根こそぎ奪われたわけではありませんが、このところの政治やメディアを見ていると、少々不安になります。
いろんなお祭りを見るにつけ、日本はきちんと日本で居続けられるのか、僕は胸のざわつきを感じます。一方で、そんな不安とは関係なく、素晴らしく挙行されるお祭にとても心が慰められます。
この祭は一年が始まるためのお祭りであり、終わるためのお祭りが秩父夜祭。今年も秩父夜祭に参拝したい。レゾナンスCafeの皆さん、一緒に参拝しませんか? 12月2日から3日にかけておこなわれます。