平成29年9月13日にBVハウスにてレゾナンスCafe Vol.015 『戦争をしないために』をおこないました。まずは「戦争のつくりかた」というビデオをみんなで見て、そののちにその原作である絵本「新・戦争のつくりかた」の後半部分を朗読して、参加者のみなさんと意見・感想交換をしました。
そもそもレゾナンスCafeをなぜこのテーマで開催したのか、スタッフ内でのやりとりをまとめたものを掲載します。
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レゾナンスは、いろんなところに起きます。もし戦争が始まるとしたら、それもあるレゾナンスによってもたらされるでしょう。それがどのようなものかを知ることで、前もってそのような状態にならないように考えることができるかもしれませんし、そのようにならないレゾナンスを生むこともできるでしょう。
戦争が始まらないためのレゾナンスとは何か?
それを考えるだけでも価値があるのかな?と思います。戦争が始まらないためのレゾナンスというよりは、この時期を捉えて平和へのステップを一歩進めるためのレゾナンスと言った方がいいかもしれません。
「いい」とか「悪い」とか「右」とか「左」とかではなく、多次元的に調和することが大切なのでしょうけど、それがどういうことか理解可能なビジョンを作り続けることが大切なのだと思います。二次元、三次元的思考で社会的にあれもダメ、これもダメとなって、選択肢が二つ三つしかない状態で「さてどれを選ぶか?」となると、あまりいい選択肢が残されないでしょう。そうなる前に高い次元で考えるとはいったいどういうことか、それが可能になるとどんなことが起きるのか、そこにどんな可能性があるのかなどを考え、多くの人がそれを考える状態とはどんなものかビジュアライズしてみたいのです。
少し前にベルクソンの『創造的進化』を読みました。内容が詰まった本なので一言では説明しにくいのですけど、人間はついつい固定化した考え方に凝り固まってしまうので、そこから抜け出て、生命が生み出す柔らかな創造性をどのようにもたらすかというような話がなされています。各個人が創造性を持たない限りどうしても機械的コピーの繰り返しが生まれ、生命が持つべき柔らかな創造性が失われていくということが書かれています。僕たちが柔らかな創造性を持つことで、互いを包み込んで利益を分け与えるような社会を生むためにはどのように物事を考えるといいのか、それを模索していく行程にあることが大切なことです。「これで完成」となった途端、それは機械化された概念になってしまいます。
では、どうしたらいいのか? ということを考えたいのですが、それは言葉に固定すると違うものになります。人間はつい言葉に置き換えることで、考えを固定化し、生命の流れという時間の経緯を思考から排除しがちなのだそうです。それでは時間の経緯を排除しない創造とはどういうことかについて、わかろうとする過程が大切で、その変化自体に意味があるようです。その考えは、これからのAI時代には、知識自体が大切になるのではなく、知識や情報をどのように作って行くのかその経過が大切だと言われていることと似ているような気がします。つまり現在のAI時代に起こることと似たことを、ベルクソンは1907年には本にしていたのです。
マスメディアで固定した考えを推し進めていくと、結局エラン・ヴィタールと呼ばれる「生の飛躍」に到達するのではなく、固定化された、過去の延長線上にあるような、いつもの歴史を繰り返すことになります。
こんなことを考えながら、「あーかこうか」を繰り返していきたいと思います。「これこれが答えだ」というのではなく、お互いに影響し合いながら、答えを模索していく行程を楽しんでみたいと思います。
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いろんな意見が出て、そして誰も他人を否定せず、いろんな話が出てきて良かったと思います。しかし、そのひとつひとつをここで例示すると、固化された言葉の羅列になりそうなので、それはあえてしません。あそこで集まったみんなで、いい時が過ごせたというのが一番の収穫でした。
またいつか、別のテーマでやりましょう。