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レゾナンスCafe Vol.009『いのちのまにまにあわいの響き』開催報告

レゾナンスCafe Vol.009『いのちのまにまにあわいの響き』開催報告

レゾナンスCafe Vol.009『いのちのまにまにあわいの響き』開催報告

平成28年11月9日にBVハウスで、レゾナンスCafe Vol.009『いのちのまにまにあわいの響き』を開催いたしました。

お話いただいた三輪福さんは各地のお祭で主役級の舞を舞う方です。ほかにもいろんなことをなさっています。

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三輪福さんの踊りや演奏は緊張感があり、まるで神様が憑依したかのような表現をするのですが、素に戻ってお話すると、ほわんとした雰囲気が素敵な方です。踊りとお話のギャップが<いとおかし>と感じていました。

お話の前にしていただいたパフォーマンスをビデオにしました。ご覧ください。

パフォーマンスのとき、参加者のテーブルの上で光っているものは、紙皿に立てた蝋燭です。蝋燭が短くなると紙皿が燃えてしまうかもしれないので、薄く水を張りました。蝋燭の光が水に反射して揺らめくさまを観じながら、参加者は天河神社で生まれたばかりの太鼓に導かれてそれぞれの心の旅をいたしました。太鼓の皮は奈良近辺で狩られた鹿の皮が使われています。いま奈良近辺では年に7000頭くらいの鹿が捕獲され、殺され、食べられるか、廃棄されるかしているそうです。なぜでしょう? 三輪福さんは狩られてしまった鹿に太鼓という別の命を吹き込み、鹿の命と融合させ、祈りの場としてそこが現出するよう演奏して下さいました。

太鼓の演奏の次に鳴らしていたチャイムは、竹の筒の中にチャイムが仕込まれ、わずかに揺らすとコリンカリンと鳴ります。ダウジングではわずかな心の揺れが針の先に影響しますが、それと同じで、その場の雰囲気と三輪福さんの無意識の指の震えがあの音をもたらします。それは意図的に出てくる音ではないのです。わずかな意図と無意識が響き合い、えも言えぬ螺旋のメロディーをもたらすのです。あのチャイムを耳元で鳴らしてもらいました。すると離れたところからでは聞こえない、低い響きが竹の内側にこもっていました。

演奏のあと、サイマティックスについてのお話をしていただきました。サイマティックスとどう出会い、どんなことを体験してきたかでした。はじめはサイマティックスの機器を知り合いからもらい、ただ気持ちがいいので使っているうちに、からだの悪い部分にフォーカスして治療ができるか試すと、実際に治ってしまったという話でした。他人からそんな話を聞かされると、本当かなぁと疑ってしまうかもしれないような話でした。だけど三輪福さんの話にはなぜか納得してしまいます。なぜだろうと思いながら聞きました。三輪福さんの発する声、言葉、雰囲気には、嘘の混ざる間合いや響きがないのです。

幼い頃、怪我をすると母が傷を手当てしてくれたあとに「痛いの痛いの飛んでいけ」と言ってくれました。子供にとってあの言葉は真実なのです。そして、確かに痛みは引いていくのです。母にとっても子どもの痛みを取るための切実な祈りだったでしょう。そういう響きが三輪福さんの発する声や言葉にはありました。その響きにすっかり安心して、聞いていた人たちは三輪福さんの些細な冗談に心からの笑いを発してしまうのでした。

科学的に正しいかどうかも大切ですが、それだけでは人間は生きていくことができません。声や楽器の響きの中に、人は豊かな物語を感じるものです。科学的には鹿の皮であろうと、化学合成された薄膜だろうと音に違いはないのかもしれません。しかし、僕たちはそれが人間の勝手で狩られてしまった鹿の響きであることに、深いため息をつくものです。

音という波動は、単なる波動と思うこともできますが、複雑な物語と歴史と文化と、それらの融合がもたらす神の音として聞き取ることもできるのです。そしてそれが実際に、私たちのからだに影響することもあるのです。

波動には複雑な情報を含めることができます。それは科学的に説明できることです。ただ、あまりにも複雑になるとそれを私たちが正しく解釈することが難しくなるのです。

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