大介>
ほら、俺ってさ、イルカと泳ぐじゃん。するとなんかピッタリと同調するときがあるんだよね。いつもじゃないけど、ときどき。でもそれは他の人よりずっと多いと思う。
実加子のいうことわかるし、素敵だけど、動物に同調しないなんて考え、まだ固いね。俺はイルカと同調するし、鳥ともときどき同調する。完璧じゃないよ。でもさ、人間にとっての完璧と、イルカや鳥にとっての完璧とは、どこか違うんだよね。それがうまく言えないから、、、なんかね。
だいたいさ、人間があらゆることを言語で表現できると思っていることがまちがいでしょう? たとえばさ、俺が夢を見たとして、その夢ってとても変だったら、うまく言葉にはできないよ。たとえばさ、俺がグニョ〜って溶けて変な光を浴びながら地球の中心に行ったとするじゃない? この話聞いていろんな人がアニメでそのときのことを表現したとしたらさ、そのアニメは同じものにはならないと思わない? それと同じでさ、人間が思う動物の感じって、言葉に縛られていてさ、「かわいい」とか「愛しい」とか言うけどさ、それって人間の都合でできた言葉だから、動物にとってはどうでもいいことなわけ。動物にとってはさ、もっと原初的なというか、ちょっとそれは違うな、そう、その動物特有の感覚があるだけでさ、人間の言葉的感覚とは違うのよ。それを表現するのはできない。イルカの感覚と鳥の感覚は違うし、ましてそれらと人の感覚も違う。それを同じ言葉で表現しようとしたら、いろんな間違いが起きる。人間だって、言葉が違えば感覚変わるじゃん。日本語使っているときはどうしても目上とか目下とか考えて言葉使うから、俺たちみんな兄弟だぜって感じにはなりにくいけど、英語だと簡単だよね。人間でも言葉が違うだけで感覚が違うんだぜ、まして身体が違う動物を、本当の意味でわかるってのは、だからとても難しいことだと思ってしまう。でも、それが人間の枠なんだよな。言葉の枠をはずせば、動物とだって分かり合える。でもそれは、言葉的に分かり合えるのとは違う「わかりあえる」なのよ。わかる?
だからさ、人間は「わからない」って簡単に言っちゃうけど、「わからない」って言っちゃったらそれで終わりでしょう? それ以上考えないから。
犬とか猫とかさ、人間の言葉がわかっているような奴がいるじゃん。あいつらはさ、言葉がわかって行動するんじゃなくてさ、人間の何か言葉を超えた全体性のようなものを感じて、言葉をきっかけとして同調しているんじゃないかな? そういう体験が積み重なって、いつか言葉だけでも理解できるようになるのかもしれないけど、それって一部の特徴的な言葉だけだよね。奴らが理解するのは俺っていう存在の、言葉より深いなにかなの。人間はその深いなにかについてあまりいろいろ考えずにたいてい言語ですませちゃうから動物とのコミュニケーションが難しいんだと思う。もっと全体を感じるんだよ。
イルカと泳ぐじゃん。奴らさ「チューチュー」とか「ピー」とか鳴いているんだけど、俺、それは全然理解できない。でもさ、一緒に目を合わせて泳ぐことはできるし、いま曲がると感じて一緒に泳いでいる方向変えたりもできるし、そういうことが「チューチュー」とか「ピー」とか言わなくてもできるんだよ。まずはそれが大切だって思うんだよね。偉い学者先生からは「そんなのイルカを理解したことにはならない」って言われちゃうかもしれないけど、俺はそれがイルカとのコミュニケーションだと思うし、それがイルカを理解したことの一部だと思うんだ。だいたいさ、人間だってそんなに分かり合ってないぜ。俺のカノジョとだって、たいていはラブラブだけどさ、しょっちゅう喧嘩するもん。本当に俺はあいつのこと理解しているのかって考えると、「どうもしてねぇ」としか言えねぇ。えらい学者先生はよっぽど家族とか奥さんのこと理解しているんだろうねぇ。これ皮肉だよ。わかる?