グリッター・ゆき
そうよねぇ。大介のいう通りだと思う。ワタシって何者かしら? ワタシ自身わかってないのよねぇ。ワタシ個人としては、なんか鬱陶しいものとか、面倒なこととか、ほっといておきたいんだけど、なんかさ、こうときどき、なんていうのかしら、心の中でさ、何かがささやくのよ。ささやくというか、話しかけてくるというか、そのまま言ってあとでしまったと思うこともあるんだけど、なんかそういう感じで出てきちゃうのよ。出てきちゃうからしょうがないの。(笑)
出てくれば来るほど、あとで「ワタシって誰かしら」と思っちゃうのよねぇ。ちょっと前まではこんなじゃなかったのよ。うん。まるでチャネリングよね。チャネリングしているのかどうかもよくわかってないんだけど、とにかく出てくるのよ、こういう話が、ワタシの口から。出てきて困るって、変でしょう? 変だけど仕方ないの。そうだから。これって多重人格なのかしら。でも、他人に迷惑をかけてないからいいわよねぇ。迷惑に感じているのはワタシよねぇ。でもさ、たいていこういう話するとみんな聞いてくれるから、なんかまあ悪い感じはしないのよ。
話がちょっとまた飛ぶけどさ。ピカソとかのキュビズムってあったじゃない。「なんであんな変な絵を描くのか」と思っていたんだけど、最近、あれって多次元の視点を持つことじゃない?と思ったの。多次元、多次元ってずっと話してきたけどさ、ようはあれがひとつのエッセンスなのよ。まあ、またよくわからないこと言い出したけどさ。そうなの。さすがピカソ先生よ。多次元の視点を無理矢理二次元に降ろすとああなっちゃうってこと。あれがワタシたちに多大なインスピレーションを与えているのよね。「芸術は未来の予言だ」なんてこと言ってた人がいたんだけどさ、まさにそうだなって感じ。
ん? 意味がわからない? うん、ワタシもよくはわかってない。でもさ、わかることって二種類あって、言語的説明がつくという意味の「わかる」ではないけど、言語化できないけど直感的にわかっているという状態の「わかる」なのよ。わかる? まぁいいわ。
何度も言ってるけどさ、多次元をワタシたちは直接知らないから、この次元に降りてきた投影されたものしか知りようがないのよ。この次元に降りてきた投影されたものから推測することを重ねていくことで、いつか自分の感覚のなかにはその多次元的感覚が根付くのよね。それでいろんな物事をその次元でとらえはじめるの。でも、それは説明しようがない。その次元についてわかっている人になら説明できるだろうけど、そういう人、滅多にいないものね。でも、これから増えていくと思う。わかるようになるためには、いつもそれを感じるようにしないとね。それを感じようとしているとだんだんわかるんだと思う。なんていうのかな、宇宙がきちんと望む人に与えてくれるのよ。
だいたいさ、海にいた生命が陸に上がったのも、きっと「陸に上がりたい」と思ったからだと思うの。そして「空を飛びたい」と思うから鳥のように飛べるようになったんだと思う。同じように人間も「こうしたい」と思ったら、そうなるんだと思う。だって生命なんだもの。人間って考えると可能性は狭く感じるけど、ワタシたちは生命なのよ。なんでもありなの。望めばさなぎにだってなれるかもよ。わからないけど。(笑) そんなものになりたい人がいればね、本気で。でさ、いまの人たちって、たいした望みを持たないじゃない。きっともっと大きな望みを持つべきなのよ。その望みが大きくて、多くの人に影響を与えるものであればあるほど、実現の可能性は高くなるのよ。ところが、目の前の小ちゃなことしか望まないから、かえって難しくなるのよねぇ。
ワタシのいまの望みはねぇ世界平和よ。まずは戦争がなくなる。国同士で人を殺し合わなければいいの。小競り合いはかならずあるわよ。だってみんな自分がしたいことをしたいからさ、利益が相反するとき、小競り合いは起きてしまうわよねぇ。それはいまのところ仕方ないし、どうでもいい。とにかく国同士で人の殺し合いをもうしないってこと。これがワタシの大きな望みよ。「そんなの無理」って刷り込まれているでしょう。それが問題なのよ。それをはずせばいいの。みんなで。
でさ、こんなこと言っちゃうけど、ワタシっていろんな矛盾を抱えているのよ。なにしろ意識が多次元だから。その矛盾をどう乗り越えていくのかを、そのときどきで考えないとね。三次元、四次元で、多次元のこと表現するのって、タ・イ・ヘ・ン。
なによ、ヘ・ン・タ・イじゃないわよ。