夜、暗い道を、高校生か大学生くらいの娘が、リュックを背負って歩いていた。暗いので小走りに行く。リュックにはスマホが結びつけられている。小学生のランドセルに定期券入れが結ばれているように。そのスマホは娘の歩くリズムに揺れ、リュックや服にすれて、一定のリズムが生まれている。
スクカポンコ、スクカポンコ、スクカポンコ。
僕が夜道を歩いていたら、その娘が足早に抜いていった。
スクカポンコ、スクカポンコ、スクカポンコ。
その音を聞いて何か切なくなった。なんで切なくなったのか? スマホの音が悲鳴に聞こえた。
スクカポンコ、スクカポンコ、スクカポンコ。
その悲鳴は大きな声ではない。ささやくような悲鳴。痛いといって騒ぐほどではないが、確実に傷つけられている。その傷は気にするほどではないが、長い間同じ状態に置かれていると、いつか大きな傷になる、そんな静かな悲鳴。
そういう悲鳴は、いま、街中にあふれている。
スクカポンコ、スクカポンコ、スクカポンコ。
彼女はスマホの音に気づいていない。気づいていても気にはしてない。それは彼女にとってはたいしたことではない音。なぜなら、その程度の痛みは当たり前だから。
スクカポンコ、スクカポンコ、スクカポンコ。
その程度の痛みを気にしていたら生きてはいけない。
「わたしが我慢しているのだから、あなたが我慢するのは当たり前」
スクカポンコ、スクカポンコ、スクカポンコ。
スクカポンコ、スクカポンコ、スクカポンコ。