N次元 - 記事一覧
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発行日時 | 見出し |
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2015/9/29 20:10 |
人格軸
グリッター・ゆき 多次元の存在からすると「次の次元に移行すると何が起きるか?」って考えるのは、実はナンセンスなのよね。 私たちには三次元が考えやすいからそれを例にするけど、たとえばxyz空間があるじゃない。あそこにある立体を見た上で、xy平面に何が投影されるのか、yz平面に何が投影されるのか、zx平面に何が投影されるのかって、それぞれ理解できるわよね。そしてそれは立体を把握できる私たちにとっては、なにひとつ矛盾がない。まあそういうことってことよね。でも、平面に生きている人ってのがいたとしたらどうかしら? 「私はxy平面にいるからyz平面の可能性はない」とか、「zx平面はありえない」とか考えるんじゃないかな? 三次元の人間から見れば、どの平面を選ぶかによって同じ立体でも見える形が違うのよ。ところが二次元に生きている人は、それをなかなか理解できないわよね、きっと。 それと同じでさ、10次元に生きている人がいたとして、その人がどの四次元を選ぶかって、それは自由じゃない。私たちは「縦、横、奥行き、時間」と四次元を考えるけど、10次元に生きている人はもっと別の軸をたくさん持っているのだから、その軸を「縦、横、奥行き、時間、a,b,c,d,e,f」として、四次元を考えるのに、「縦、a,b,時間」という軸で物事を考えることもできるのよ。わかる? だから、四次元を「縦、横、奥行き、時間」と考えるのは、私たちの勝手な思い込みなの。じゃあどんな軸がほかにあるのかというと、それは無限にあるの。私たちがこの宇宙に創造する軸の数だけ、それが現れるの。変だと思うでしょう? でも変じゃないの。私たちは「事実は私とは関係ない」と考えがちだけど、「事実こそ私たちに大きく関わっていて、私たちの存在こそが、事実をそのように見せてくれているのよ」。 少し難しいからほかの話しをしてからまたゆっくりその話しに戻ってくるわね。 だからとにかく、五次元目の軸は何かって、いろんな軸を取ることができるけど、理解しやすいのは人格軸だと思うの。それはね、私たちから見ると変な軸だけど、多次元な存在から見れば「そうね」ってもんだと思う。ヨガの修行をしていくと、いろんな力を得るそうだけど、その力には五つあって、その五つの力を仏陀は禁じたんだって。その五つは、まずシッディ。それは神通力のようなもの。空中浮揚とかあるでしょ。あのたぐい。それから天的眼力。見えるはずのないところを見る力ね。そして天的聴力。聞こえるはずのない音や声が聞こえる力。そして四番目は他人の心を知ること。最後が前世を思い出すことなの。このうちの「他人の心を知ること」ってのは、比較的想像しやすいと思わない? それについて話すわね。
本当に本当には、他人が思っていることは正しく理解できるかどうか分からないわよ。でも、わかった気にはなれるじゃない。結局分かった気になったのか、実際に分かったのかって、どこまでいっても答えは出ないのよ。それを「わかった」という立場で語るのか、それとも「わからない」という立場で語るのか、その違いなの。そして、私たちはどちらかだけが正しいことだと考えがちだけど、そのこと自体疑った方がいいと思うのよねぇ。だってもし他人の考えていることがわからないのなら、自分の考えていることもわからないんじゃないかしら。もっと正確にいうと、「他人の考えていることがわからないという立場で話す」のであれば、「自分の考えていることも実はよくわかってない」という立場で話ができるのじゃないかしらってこと。だってさ、さっきまで自分はこう思っていたけど、よく考えるとこうだったとか、よく感じてみたらやっぱりこうなっていたとかってあるじゃない。それは自分にも起きることなのよ。だとしたら、他人のことがわからないのも、自分のことがわからないのも同じようなものよね。だとしたら、自分がわかっているという立場を取るのと同じように、他人のことがわかるっていう立場の取り方もできるでしょう? このことはいくらでも反論できるので、そういう反論はあるだろうなということを私は知っているけど、それでもこの話を進めていくわね。 たとえばさ、過去の偉人の物語があったとするじゃない。それって事実かどうかわからない部分を空想で埋めて作ってある作品って多いでしょう? その作家がその人のことをよく調べてさ、それできっとこのときこの人はこう感じただろうって物語を作るでしょう。それを読むと読んでいる方もそうだろうなって感じになるじゃない。つまりある人の状況を丁寧に調べていくと、その人がどういう感情を持ったのか、ある程度推測できるのよね。その推測できた感情で当時の出来事を知ると、その人の視点で知ったような感じになるでしょう? ただ事実を知っただけだと、それは単なる事件だけど、その事件をある人の視点を通してみると、その事件には感情も含まれるから違う色合いを帯びることになるじゃない。そういうことがわかるってことが大きな要素になると思うの。 たとえば、今なにか事件が起きたとして、それを傍観者として見るのと、被害者として見るのと、加害者としてみるのでは、まったく違うものに見えるでしょう? それがとても大切なのよ。 この世界はいろんな立場の違う人の集まりでできているでしょう。当たり前のことだけど。そして、この世界を、どの視点で見るかで見えるものが違うというのも理解できるでしょう? そうすると、私が見ているこの世界っていうものは、私の視点で見える世界でしかないのよ。わかるでしょう? つまり別の人の視点で見た世界は、きっと違う世界が見えているはずなの。だけどさ、私たちって比較的、世界というものは誰が見ても「世界は世界」としか考えてないように思えない? 違うという人はいいんだけどさ、多くの人は同じ世界を見ていると思い込んでいるような気がするんだ。でね、違う世界を見ているから話が食い違ったりもするのよ。ね? そのことを理解しないとならないの。それを理解するためには、違う人の視点に立ったつもりで考えるってことをしなれないとダメよね。 でさ、現代の人たちって、昔の人たちよりそれが楽にできると思うの。たくさんのドラマや映画を見るでしょう? 他人の立場に立つということが、いろんな物語を読んだり、映画を見たりすることで感覚的に昔の人より理解できるというか、体感できるようになっていると思うの。だから他人に同調もしやすい。 ここでやっと曼陀羅の話なんだけど、もともと曼陀羅って何に使ったのか知ってる? あれは美術品じゃないのよ。修行のための道具なの。曼陀羅に対応するお経があるのよ。お経を読みながら曼陀羅を見るの。それでいったい何をするのか。この世界をイメージする練習をするの。 たとえば、大日如来が中心に描かれた曼陀羅があるとするでしょう。そうすると、大日如来のまわりには、なんとか如来とかんたら如来がいて、うんたら菩薩となんだか菩薩がそのまわりにいる、なんてことが描かれているでしょう。それに対応したお経には、その如来や菩薩たちがどんな話をしているのかなんてことが書かれていたりするのよ。そこには如来や菩薩の性格もはっきりと記されていて、だからそういうことを考えるとか、こんなことを思ってしまうという物語がわかるようになるの。そうするとその世界はもう動かない絵ではなく、いきいきと動き回る動画のように観想されるわけ。それができることが修行なの。それができるようになるとどうなるかというと、この世界に生きている時も、性格や立場、状況などで見えるもの、感じることが違うということが当たり前になるでしょう? だから徳の高い人と言われるような人格者になっていくのよ。たくさんのドラマや映画を見た人に似ていない? そして、ときどき曼陀羅の世界を観想しているときに視点を変えたりするの。たとえば大日如来から宝生如来になったとすると、それだけで世界が変わるのよ。そういうことが理屈や理論でわかるんじゃなくて、肉感的にわかるようになるのよね。そうすると、人格が変わるわけじゃない。だから、曼陀羅を観想することで、人格軸を移していくことを覚えるの。 これって何杯目かしら、もう一杯ちょうだい。今日は徹夜かしら? なんかそのくらい熱くなってきた。 |
2015/4/20 11:16 |
四次元を知るために五次元を知る
実加子 まだまだわかったような、わからないような。 さっき小説の登場人物になりきって憑依されることが五次元意識になることみたいな話がでたけど、それをもっと詳しく聞きたい。憑依されることが五次元意識なの? それから曼陀羅との関係も知りたい。わかるような気もするけど、説明はできない感じ。 ん? 説明できる気になって説明してみるといいって? うん。何かしら。まあ、適当に言ってみるわね。正しいか間違っているかは気にせずに。 曼陀羅って、平面に描かれているけど、実は立体なんじゃないかって思うの。そして、もっと言うと、立体を超えて四次元、五次元空間の曼陀羅があってもいいような気がする。昔は二次元の絵でしか描けなかったから、ああいう曼陀羅になっているけど、伝えたかったのはもっと高次元のものもあったんじゃないかって。いまなら3Dで動画として曼陀羅が作れるわよね。それをすると、何かとてつもない悟りというか、気づきがあるような気がする。そして、それを四次元でやったらどうなるかとか?
ねぇ、コンピューターの能力なら多次元空間を数式的につくることができるんでしょう? そしたら、3Dの曼陀羅を作って研究したあとに、四次元の曼陀羅を作ったらどうなるか興味がある。たとえば、球体の中で如来とか菩薩が移動している最中に、ときどき如来や菩薩がフッと入れ替わるの。なぜならそれは五次元からの投影がそこに現れているから。私達は低次元の視点しか持ってないと、上の次元で何かが変化したとき、その変化の投影は唐突に起きてくることがあるでしょう? そうすると、この私達が生きている次元で憑依が起きたり、チャネリングしたりするのも、それに何か近いものがあるかも。私達の次元ではその変化がほとんどわからないけど、別の次元の視点をもし持つことができたら、憑依やチャネリング、人の精神的変化なんかははっきりとわかるようになるかもって思う。 もしそうだとすると、別の次元の影響ってどんなことなのかしら? |
2015/3/23 12:41 |
三次元・四次元では矛盾に見える
グリッター・ゆき そうよねぇ。大介のいう通りだと思う。ワタシって何者かしら? ワタシ自身わかってないのよねぇ。ワタシ個人としては、なんか鬱陶しいものとか、面倒なこととか、ほっといておきたいんだけど、なんかさ、こうときどき、なんていうのかしら、心の中でさ、何かがささやくのよ。ささやくというか、話しかけてくるというか、そのまま言ってあとでしまったと思うこともあるんだけど、なんかそういう感じで出てきちゃうのよ。出てきちゃうからしょうがないの。(笑) 出てくれば来るほど、あとで「ワタシって誰かしら」と思っちゃうのよねぇ。ちょっと前まではこんなじゃなかったのよ。うん。まるでチャネリングよね。チャネリングしているのかどうかもよくわかってないんだけど、とにかく出てくるのよ、こういう話が、ワタシの口から。出てきて困るって、変でしょう? 変だけど仕方ないの。そうだから。これって多重人格なのかしら。でも、他人に迷惑をかけてないからいいわよねぇ。迷惑に感じているのはワタシよねぇ。でもさ、たいていこういう話するとみんな聞いてくれるから、なんかまあ悪い感じはしないのよ。 話がちょっとまた飛ぶけどさ。ピカソとかのキュビズムってあったじゃない。「なんであんな変な絵を描くのか」と思っていたんだけど、最近、あれって多次元の視点を持つことじゃない?と思ったの。多次元、多次元ってずっと話してきたけどさ、ようはあれがひとつのエッセンスなのよ。まあ、またよくわからないこと言い出したけどさ。そうなの。さすがピカソ先生よ。多次元の視点を無理矢理二次元に降ろすとああなっちゃうってこと。あれがワタシたちに多大なインスピレーションを与えているのよね。「芸術は未来の予言だ」なんてこと言ってた人がいたんだけどさ、まさにそうだなって感じ。
ん? 意味がわからない? うん、ワタシもよくはわかってない。でもさ、わかることって二種類あって、言語的説明がつくという意味の「わかる」ではないけど、言語化できないけど直感的にわかっているという状態の「わかる」なのよ。わかる? まぁいいわ。 何度も言ってるけどさ、多次元をワタシたちは直接知らないから、この次元に降りてきた投影されたものしか知りようがないのよ。この次元に降りてきた投影されたものから推測することを重ねていくことで、いつか自分の感覚のなかにはその多次元的感覚が根付くのよね。それでいろんな物事をその次元でとらえはじめるの。でも、それは説明しようがない。その次元についてわかっている人になら説明できるだろうけど、そういう人、滅多にいないものね。でも、これから増えていくと思う。わかるようになるためには、いつもそれを感じるようにしないとね。それを感じようとしているとだんだんわかるんだと思う。なんていうのかな、宇宙がきちんと望む人に与えてくれるのよ。 だいたいさ、海にいた生命が陸に上がったのも、きっと「陸に上がりたい」と思ったからだと思うの。そして「空を飛びたい」と思うから鳥のように飛べるようになったんだと思う。同じように人間も「こうしたい」と思ったら、そうなるんだと思う。だって生命なんだもの。人間って考えると可能性は狭く感じるけど、ワタシたちは生命なのよ。なんでもありなの。望めばさなぎにだってなれるかもよ。わからないけど。(笑) そんなものになりたい人がいればね、本気で。でさ、いまの人たちって、たいした望みを持たないじゃない。きっともっと大きな望みを持つべきなのよ。その望みが大きくて、多くの人に影響を与えるものであればあるほど、実現の可能性は高くなるのよ。ところが、目の前の小ちゃなことしか望まないから、かえって難しくなるのよねぇ。 ワタシのいまの望みはねぇ世界平和よ。まずは戦争がなくなる。国同士で人を殺し合わなければいいの。小競り合いはかならずあるわよ。だってみんな自分がしたいことをしたいからさ、利益が相反するとき、小競り合いは起きてしまうわよねぇ。それはいまのところ仕方ないし、どうでもいい。とにかく国同士で人の殺し合いをもうしないってこと。これがワタシの大きな望みよ。「そんなの無理」って刷り込まれているでしょう。それが問題なのよ。それをはずせばいいの。みんなで。 でさ、こんなこと言っちゃうけど、ワタシっていろんな矛盾を抱えているのよ。なにしろ意識が多次元だから。その矛盾をどう乗り越えていくのかを、そのときどきで考えないとね。三次元、四次元で、多次元のこと表現するのって、タ・イ・ヘ・ン。 なによ、ヘ・ン・タ・イじゃないわよ。
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2015/3/12 11:12 |
ゆきへの疑問
大介 いくつか疑問があるから質問するよ。 まずさ、ゆきって、未来のこと考えるの嫌だとか、生命の話なんか嫌いとかなんだとかって言ってたのに、なんか豹変してない? もう未来のエキスパートみたいに。それに多次元について語っているとき、何でも知っていて楽しそうに見えるよ。最初の話と違うじゃん。それってどういうこと? ゆきも多重人格?
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2015/3/12 9:51 |
四次元意識の段階を詳しく考える
グリッター・ゆき そうよね、それきちんと考えないとわからないわよねぇ。どういえばいいかしら? うーんと。 まずさ、もしワタシたちが一次元に生きていたとするじゃない? そうするとさ、前とうしろの点しか見えないのわかる? 一次元って線じゃない。もし線の上にいると理解するとなると、その線から少しは浮き上がらないと、線が見えないのよね。つまり線にいるときは、点しか見えないの。前と後ろにあるね。同じように今度は二次元を考えるのよ。するとさ、二次元では実は線しか見えないのわかる? そう、面の上にいたときにグルッとまわりを見ると、線だけなの。もし面の上にいると理解するためには、ちょっとだけでも面から浮き上がらないとそこが面に見えない。ね? わかるでしょう。そうするとさ、三次元では面しか見えないでしょう? 本当にそこが立体に見えるためには、少しだけでも四次元に意識を移行させる必要があるのよ。つまり瞬間的に見ている映像は平面的なのよね。自分が少しでも移動することで、そこが立体であることがわかる。移動って時間が必要でしょう? つまり三次元の立体から、四次元の時空空間に少し浮き上がるの。時空空間に浮き上がるってのが、わかりにくいかもしれないけど。一次元、二次元の類推から、なんとなくわかるでしょう? それでさ、ちょっとでも浮き上がると、その立体がよくわかるけど、もっと浮き上がると、もっとよくわかるのよ。
よく考えるために二次元の話に一度戻るわね。二次元にいるとき、線しか見えないって言ったでしょう? それでちょっとでも浮き上がると面が理解できる。つまり三次元の空間に出てはじめて面という二次元がわかる。そして、いま自分が地球の上にいると思ってみて。地球は球でしょう? その上にある平面にいるとき、地球が球であることはわかりようがないじゃない? ところがさ、三次元に出て、ちょっと浮き上がると自分が平面にいたことがわかるわよね。そして、もっと浮き上がると平面がとても広いってことがわかるわよね。それでもっともっと浮き上がると、そのときはじめて地球が丸く見えるということがわかるわけ。さらに時間的経過があると、そこにある地球というものは球だったということがわかるわけ。つまりね、同じ三次元でも、面から少ししか離れてないと狭い面しか理解できないでしょう? それが面から離れれば離れるほどその平面の広さが理解でき、もっともっと離れると、そこが地球なら、平面が永遠に続くわけではなく、なぜか丸いということが理解できるじゃない。そこではじめて「なぜ丸く見えるのか?」という疑問を持つことができる。うんと離れないとその疑問すら持てないわよね。同じようなことが三次元にも起きるのよ。 つまり、時間の経過がごく短い範囲しか理解できないと、三次元の理解も浅いものになる。時間的にものすごく長い歴史を知っていると、そのとき三次元の理解も深くなっていくってこと。 具体的に考えるとさ、この平成の時代の歴史だけを知っている人は、昭和の戦争のこと知らないわけだから、どのように戦争が起きてくるのかを理解できない。つまり、戦争が起きたとき、どんなことが起きたかを知っていれば、同じようなことはしなくてすむでしょう? だから、歴史を知るって大切なのよ。そして、もっと長い歴史を知っていると、もっと役に立つことがあるわけ。たとえばローマの滅亡はなぜ起きたのか? もちろんいろんな説があるにせよ、組織があまりにも大きくなるとコミュニケーションが難しくなって社会の腐敗堕落が起きてくるというのがわかり、それをきっかけに紛争が起きると。そのようなことを理解した上で現代を考えると、いろんなヒントがあるでしょう? でも、歴史ってたいてい人間の歴史までしか考えない。もっと広く考えるためには生命がどう進化してきたかも考えないとね。そういうスパンでものごとを考えると、人間がどう進化していくのか?なんてことも視野に入ってくるでしょう? アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』って読んだ? すごいのよ。人類の未来がどうなるか書かれているんだけど、想像を絶するようなことが書かれているのよ。読んでないなら読んでみて。ああいうスパンで物を考えられるようになると、人生の幅が絶対に広がるわよねぇ。それでさ、そういう考えが持てることによって、五次元というのも少し見えてくると思うの。何しろ星の歴史にまで物語は及ぶのよ。星の歴史よ。それまで考えていたことの殻がガツンとくだけるわよ。だから、四次元の意識にも段階があるの。 こんな説明でミカちゃん、わかった? そう、なんとなくでいいの。完全な理解なんて、もしあったら、そっちの方が怪しいからね。
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2015/3/11 18:50 |
どんな段階?
実加子 四次元意識にも段階があるってことだけど、どんな段階があるの? 未来を予測しやすくなる段階ってどんなことなの? 訓練すれば精度が高くなるっていうけど、それがピンと来ない。
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2015/3/8 18:56 |
四次元意識の段階
グリッター・ゆき ミカちゃんのその状態って、とってもいいと思う。わかるようでわからないってことは、わかり始めた証拠だから。本当に新しいことを理解するとき通る段階は、まず拒否。そして混乱が来て、理解する。いま混乱しているわけでしょう? わかり始めている証拠ね。 未来を予測しても、絶対必ずそうなるわけではないわよね。それはどう言ったらいいのかしら。んーっ。 そうね、四次元意識にもそのなかで段階があると思えばいいわね。過去も未来も、どちらも見ることも触れることもできないから、ある程度不安定であることは受け入れられるでしょう? 映像とかあればかなりいい過去の証拠になるけど、そこに映し出されている人々が何を考えているかまではわからない。そこに曖昧さが存在する。未来に関してはもっと曖昧だけど、過去と同じように意識をフォーカスすることで、ある程度はわかる。そこで意識的にその流れにフォーカスしたりするのよ。でも、それははじめのうち、正しいこともあるし間違っていることもある。だけど繰り返しそういうことをしていくことで、だんだん精度が上がってくるのね。そういう訓練が必要だと思うの。そんな訓練、普通はしないわよね。でも、意図的にする人にはきちんと成果が出るの。
四次元意識とかっていうと「?」と思うかもしれないけど、過去を知るのは現実を知る訓練。未来を把握するのは予測の訓練と思えば、会社の経営者なんかはたいていそんなこと普通にしているでしょう? それができないと経営なんてうまくいかないからね。こういうふうに言うと「あ、僕にも四次元意識が備わっている」と思う人、多いんじゃないかしら? だから、たいていの人は三次元意識と四次元意識がどういうことかが理解できれば、普通にしていることなのよ。 で、ミカちゃんは、この会話の最初の方で、小説を書くことは憑依だってなことをいってたでしょう? その立場の人になりきってみるって。そうすると自然とそのときの台詞が降りて来るみたいな。でも、そういうのってたいていの人は「作家がエゴで誰かになりきってそういっているだけ」としか思えないわよね。まあ実際にはそういうのが多いかもしれないけど、そうじゃないときもあると思うの。完璧に誰かに同調してしまったという感じね。たいていの人はそういうの信じられないかもしれないけど、そういうことはあると思うの。で、それは五次元意識に入ったということ。 ラジオってあるじゃない。あれって不思議よね。テレビもそうだけど、電波にいろんな情報を載せて再現するでしょう? あれは実際に見たことない人には信じられないわよね、きっと。ワタシたちはもう慣れちゃったけど。ああゆうことが人間同士にも起きるのよ。だけど、本当にそういうことをしていると思われると恐怖心が生まれるように社会が仕組まれてきたから、拒否反応が出てくるのよね。そこでみんなブロックしはじめる。だからわけわからなくなっていく。 みんな忙しくさせられて、自分の感覚を信じることを忘れさせられて、どんどん内側に湧き出てくる感覚があたかも病気のように思わされて、そこから生まれて来る判断はバカバカしいもの、つまらないもの、病気の結果と思わされる。みんなひとりひとりが小さな宇宙ほどのつながりと能力があり、それがゆるやかにつながっているということに信頼が置けないように仕向けられていると思うの。その結果、信頼が置けないことを基盤にしてそういう感覚を受け入れると、飛んでもないことになってしまうのよ。だからといって過剰に反応するのも正しくないけどね。そこが難しいところなのよ。 普段そういう感覚を訓練していなかった人が、急にできる気になってそれをしようとしてもはずれることが多いでしょう? そういうのばっかりが宣伝されるから世の中変になるのよ。きちんと考えるためにはきちんと修行してさ、ある程度わかるようになった人がぽつりぽつりと慎重にその価値を高めるように言っていくのがいいのよ。その点ワタシみたいのはあんまり出て来ない方がいいわね。反省。それでもでてきちゃうけど。(笑) 他人に憑依したり、憑依されたりって、たいてい困ったことの文脈で語られるけど、いいこともあるじゃない。素敵な体験を共有できるとか、緊急時に助け合えるとか、お互いにインスピレーションの源泉になるとかさ。そういう話はほとんどしないで、多くがネガティブなことばかり言うのってなぜかしらね? ネガティブな思いを背負わされるとか、イライラしてくるとかさ。確かにそういうこともあるだろうけど、そこにばかりフォーカスしていたら、その能力の素晴らしさには気づけなくなるわよね。だいたいネガティブな思いって、ポジティブな思いに転換するために生まれてくるものであって、そこを否定したらポジティブになる機会を失うってことよ。そればかり教えられていると、多くの人は足下しか見なくなる。もっと視野を広くしないとね。 四次元意識がある程度うまく機能するようになると、こんなふうに五次元意識になるわけだけど、これだってメンタルヘルスの達人はよくやっていることなのよね。 このおつまみな〜に? おいしいわねぇ。大介が頼んだの? |
2015/3/8 18:55 |
多次元意識を持つとどうなるの?
実加子 私、もう理解できない。未来を予測しだすと現実が予測に従うってこと? そんなのあり得ないでしょう。もし本当にそうだったら、世の中もっと簡単なんじゃないの? それにもし、それが事実だとして、ある人の予測とある人の予測が違ったときに、何が起きてくるの?
でも、ゆきさんの話を聞いていて、私はなんかゾワゾワしたの。このゾワゾワ感は、何か霊的な話を聞いたときに起きて来るゾワゾワ感なのね。で、なんか四次元の話を聞いていたら、急に曼陀羅のことを思い出して、それと五次元の話がどこかでつながるような気がする。 なんでこんなこと思うのかしら? 五次元感覚になると「愛することが当たり前になる」っていうのも、なんか気になる。ゾワゾワ、気になる、ゾワゾワ、気になる。あ゛ーって感じ。 |
2015/3/8 18:52 |
三次元感覚と四次元感覚
この原稿はこちらで読んで下さい。 |
2015/3/8 16:16 |
受け入れたつもりになる
大介 ゆきの話、わかるような気もするけど、完璧にわかっている訳でもないな。でも、そうかもしれないという感じはあるよ。 たとえばさ、犬って主人の状況を場所に関わりなく察知するじゃん。知ってる? 『世界を変える七つの実験』という本があって、ルパート・シェルドレイクが書いたんだけど、そのなかに飼い犬の実験が出てくるんだ。それがさ、犬を観察できるように家の各所にビデオカメラを設置するの。ビデオカメラの画面には必ず時計を置いておいて正確な時刻がわかるようにしておく。すると犬の行動と飼い主の行動が完全にリンクしていることがわかるんだって。つまり飼い主が会社から帰ろうとすると、その時刻に飼い犬が玄関に行ったりとかするんだってさ。まさかと思うだろう? 本当らしいよ。で、なぜ犬がそんなことわかるんだろうって、その理由がわからなかったけど、その多次元世界の話を聞いたら、関係あるかもと思った。
推測だから正しいかどうかわからないけど、犬は多次元の感覚を感じていて、その感覚が来るとそれに素直に反応する。人間にも来ているのかもしれないけど、三次元的、言語的には理解不能だから、ついそのサインを見逃すんだろうな。それでわからないつもりになっちゃう。違うかな? まあ、多次元を味わうことができないから、正しいかどうかはどうやったってわからないな。 たとえば、ここで僕がゆきのイメージ通りにバーで飲んでいる雰囲気になったら、それって多次元に入ったって言えるの? もし言えるならバーにいることにしてみようかな。 マスター、僕にはジム・ビームのロック、よろしく。おっ、このBGMはビル・エバンスだね。灰皿ちょうだい。 大介は内ポケットから青いパッケージのアメリカンスピリットを出す。一本取り出して100円ライターで火をつける。 おい、ちょっと、俺の台詞のなかに出てきた今の言葉なに? 俺はそんなこと言ってないよ。俺がそれ言ったら変じゃない。「大介は内ポケットから青いパッケージのアメリカンスピリットを出す。一本取り出して100円ライターで火をつける」 自分でこれ言いながら行動していたらかなーり変でしょう。そういうト書きが混入してくることが多次元なの? わからねぇなぁ。 どうも。 大介は出てきたグラスをクッと飲む。 また変なト書きが登場したね。俺は言ってないからね。まあいい。すごいね。ジム・ビームの香りや味までするよ。でもこれって所詮文字の上での出来事でしかないんじゃないの? 現実は三次元だから仕方ないのか。四次元の感覚も時間の記憶とともに現れるものだから、過去を記憶していないと四次元はどこにもないということね。つまり四次元が存在するのは記憶や感覚のなかのみということか。つまり五次元も存在するとしたら感覚や記憶にしか現れないのかな? またはイメージとか??? うーむ、やっぱり理解不能だ。 「インターステラー」に多次元の世界が描写されていたじゃない。あんな感じなのかな? |