風の又三郎
宮沢賢治の作品を読んでいる。
今朝は「風の又三郎」を読んだ。
僕が小学生の頃、母が「風の又三郎」の本を買ってくれた。
少し厚い本だったから、宮沢賢治の作品が何作か入っていたのだと思う。
その本は箱に入っており、箱から出したときの表紙の風合いを覚えている。
ところが、その本の内容は全然覚えていない。
母に「読んだ?」と聞かれ、「読んでない」と答えたことを覚えている。
以来、ずっと宮沢賢治の本は読んでこなかった。
敬遠していたと言ってもいいかもしれない。
今朝「風の又三郎」を読んで、なぜそうだったのかがわかった。
思いがけない発見だ。
風の又三郎の冒頭にこういう文が出てくる。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
これを読んだときはなんとも感じなかった。
ところが、この作品の終わりにもう一度同じように登場する。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
どっどど どどうど どどうど どどう
最後の一行がリフレインされている。
これを読んで、なぜ僕が宮沢賢治を読まなかったのかが理解でき、
同時に涙が流れた。
僕はこの言葉を記憶の底に留めていた。
母が「読んだ?」と聞いたとき、実は僕はすでにその本を読んでいた。
だけど「読んだ」と答えなかった。
なぜか?
「読んだ」と答えたら、必ず母は感想を聞いた。
ところが、なんと答えていいのか分からなかったのだ。
何かが心に引っかかったが、それが何かうまく説明できなかった。
それが説明できないから、読んでないことにした。
記憶って不思議だなと思う。
小説の冒頭を読んでも何も思わなかったのに、終わりになって出てきた、ほとんど同じフレーズを読んではじめて、消した記憶を思い出した。
還暦を過ぎてこれを知ることに深い意味を感じる。
その意味が何かは、とても長い話になるので、いつか別のところで発表する。